ディープテック・スタートアップにおける知財は、大企業のそれとは根本的に性質が異なる。大企業は「既存事業を守るための知財」を持つのに対し、スタートアップは「事業そのものの存在理由となる知財」を持つ。特許が一本切れれば事業が揺らぎ、特許出願のタイミングがシリーズ調達のバリュエーションを決める。知財はスタートアップにおいて、法務案件であると同時に経営戦略の中核である。
経済産業省産業構造審議会は、ディープテック・スタートアップの主要課題として「バリュエーション手法が未確立」「ベンチマークがない」「投資判断基準が定まらない」を挙げている。ソフトウェア・スタートアップと違い、ディープテックは先行事例が乏しく、売上も顧客もない開発期間中、投資家は「特許ポートフォリオの厚みと質」を最も重要な判断材料とせざるを得ない。
本レポートで取り上げる3社は、いずれも日本発・創業10〜15年・ディープテック領域・巨額資金調達・知財功労賞関連という共通点を持ちながら、知財戦略はまったく異なるアプローチを取っている。PFNは「事業の自由度を確保するための特許」、アストロスケールは「業界ルールと一体化する特許」、TBMは「40カ国200件のグローバル特許網」という三類型である。
| 項目 | Preferred Networks | アストロスケール | TBM |
|---|---|---|---|
| 創業 | 2014年(西川徹氏・岡野原大輔氏) | 2013年(岡田光信氏) | 2011年(山﨑敦義氏) |
| ドメイン | AI半導体、計算基盤、生成AI、ソリューション | 宇宙軌道上サービス(デブリ除去、点検、寿命延長) | 新素材開発(LIMEX®/CirculeX®)、資源循環 |
| 主力プロダクト | MN-Core™シリーズ、PLaMo™、Matlantis™、PFCP™ | ELSA-d、ADRAS-J、ELSA-M、LEXI™シリーズ | LIMEX®、CirculeX®、MaaR、Bio LIMEX® |
| 累計資金調達 | 不開示(複数回調達、2024/12に190億円含む) | シリーズGまでに400億円以上+デット200億円 | 累計234億円(SK135億円資本業務提携含む) |
| 上場状況 | 非上場ユニコーン(J-Startup選出) | 2024/6/5東証グロース上場(186A) | 非上場(NEXTユニコーン調査2020年3位) |
| 時価総額・評価額 | ユニコーン(評価額10億ドル超、具体額は非開示) | 約1,495億円(2026年2月時点、想定時価総額は上場時804億円) | NEXTユニコーン3位(2020年)、現在は公表推計ベース |
| 直近業績 | 非上場のため詳細非開示 | 売上高 前年同期比2.6倍、営業損失6割縮小、受注残444億円(2025/10期中間) | 非上場のため詳細非開示 |
| 特許保有・出願 | 数百〜千件規模(AI関連、半導体、アルゴリズム) | RPO技術、捕獲機構、軌道制御等を中核に国内外出願 | 世界40カ国以上で200件超の特許 |
| 知財戦略タイプ | 垂直統合×事業自由度確保型 | 規制形成一体型(三位一体) | グローバル網羅型(40カ国) |
| 主要連携先(大学・大企業) | 神戸大学、ENEOS(Matlantis)、Samsung、GAONCHIPS、ラピダス、さくらインターネット | JAXA(CRD2プログラム)、Eutelsat OneWeb、Northrop Grumman連携市場 | SKグループ(韓国、135億円提携)、日本製紙(元役員招聘)、神奈川県 |
| 受賞・認定 | J-Startup選出 | 特許庁広報誌掲載、J-Startup選出 | 令和4年度知財功労賞「経済産業大臣表彰」 |
出典:各社公式サイト、特許庁広報誌「とっきょ」Vol.54・Vol.57、IP BASE、STORIA法律事務所連載、三菱UFJイノベーション・パートナーズ記事、日経BizGate、日経クロステック、Shikipon Blog、J-Net21、Panasonic Connect取材記事、TechnoProducer株式会社分析、内閣官房・グローバル・スタートアップ・キャンパス構想推進室資料、日本総研レポート、アストロスケール有価証券届出書、株式会社JIC(産業革新投資機構)資料等。資金調達額・特許件数・業績は各社公表・公開情報に基づく推計を含む。
ディープテック特化型VCのBeyond Next Ventures代表・伊藤毅氏は、知財戦略のポイントをこう述べている。
「材料や創薬分野は特許が極めて重要なので、創業初期から意識して取り組む必要があります。一方で、ハードウェア系は、プロセス技術などは権利化せずにブラックボックスにしたほうがいい場合もあります。また、リバースエンジニアリングで回避されやすいものは広範囲に押さえたり、競合が次に押さえそうな領域の特許を先に押さえる、といった戦略も有効でしょう」(IP BASE)
この指針を、3社はどう実装しているかを見ると、業界特性による判断の違いが鮮明になる。
| 技術の種類 | PFN | アストロスケール | TBM |
|---|---|---|---|
| コアアルゴリズム/組成 | 特許化(AI手法、コンパイラ) | 特許化(RPO、捕獲機構) | 特許化(基本組成、製造方法) |
| 実装ノウハウ | 秘匿+社内ドキュメント | 軌道上実証データ=秘匿 | 製造条件・混練技術=秘匿 |
| 学術成果 | 論文+OSS化(PLaMo) | 学会発表・政策提言 | 国際会議発表(COP、G20) |
| 標準化・ルール形成 | 業界標準より独自パス | ISO/JERG規格策定に参画 | UNIDO認定、国際機関採用 |
| 商標・ブランド | MN-Core™、PLaMo™、Matlantis™ | ELSA、ADRAS-J、LEXI | LIMEX®、CirculeX®等の多数登録 |
経済産業省産業構造審議会の資料は、ディープテック・スタートアップの最大の課題として「バリュエーション手法が未確立」を挙げている。売上・利益・ユーザー数といった従来のKPIが使えないため、VCは「知財の厚み × 市場規模 × 経営チームの実行力」という代替指標で評価せざるを得ない。
3社はいずれも、知財を前面に出した資金調達で成功している。
※各社の資金調達タイミングと累計調達額の推移。公表情報ベース。
| 評価軸 | PFN | アストロスケール | TBM |
|---|---|---|---|
| 特許の厚み | ★★★★☆ AI・半導体・アルゴリズム | ★★★★☆ RPO・捕獲・航法 | ★★★★★ 40カ国200件 |
| 実証/PoC実績 | ★★★★★ Green500世界1位×3 | ★★★★★ 軌道上実証成功 | ★★★★☆ 10,000社以上採用 |
| 大型受注・契約 | ★★★★☆ 製造業DX多数 | ★★★★★ JAXA 120億円契約 | ★★★☆☆ SK 135億円提携 |
| エコシステム/パートナー | ★★★★★ ラピダス・Samsung・さくら | ★★★★☆ JAXA・Eutelsat OneWeb | ★★★★☆ SKグループ・自治体 |
| 規制による追い風 | ★★★☆☆ AI法整備・国策 | ★★★★★ FCCルール・ESA Charter | ★★★★☆ プラ新法・脱プラ規制 |
| 第三者認証・受賞 | ★★★★☆ J-Startup | ★★★★☆ 特許庁広報誌掲載 | ★★★★★ 知財功労賞経産大臣表彰 |
| EXIT可能性 | ★★★★☆ 将来IPO候補 | ★★★★★ 上場済み | ★★★☆☆ IPO準備中 |
ディープテック・スタートアップは、内閣官房の調査でも指摘される通り、リソースの限界から大学や大企業との共同研究が不可欠である。このとき最大の論点となるのが、「知財の帰属と利用権限の設計」である。STORIA法律事務所の連載によれば、ここで判断を誤ると「成長の大きな障害になる論点」となる。
| 連携相手 | PFN | アストロスケール | TBM |
|---|---|---|---|
| 大学との連携 | 神戸大学(教授をCTO兼任) | 東京大学、欧州ESA系研究機関 | 日本製紙の元役員を取締役会長に招聘 |
| 国・政府機関との連携 | 経産省関連プロジェクト複数 | JAXA CRD2(120億円)、SBIR | 経産省補助金、神奈川県、環境省 |
| 大企業との事業提携 | ENEOS(Matlantis)、Samsung、ラピダス、さくらインターネット | Eutelsat OneWeb、防衛関連企業 | SKグループ(135億円) |
| 知財帰属の主な形 | 共同出願(神戸大学)+自社単独 | JAXAからのライセンスイン+自社特許 | 自社単独+JV共同 |
| 連携における知財流出リスク管理 | CTO兼任による内部化 | JAXAの「支援」スキームで対等化 | 地域・商品での棲み分け |
ディープテック・スタートアップのグローバル展開において、PCT(特許協力条約)国際出願とParis条約ルート(優先権主張)の使い分けは、コストとカバレッジのトレードオフを伴う重要な戦略判断である。特に、創業10年以内のスタートアップにとって、「どの国に権利化するか」は数千万円の追加費用を意味する。
※各社の地理的特許カバレッジの推定。公表情報に基づく。
スタートアップのIPO(新規株式公開)において、知財DD(Due Diligence)は審査の重要項目である。主幹事証券会社・東証が特に確認するのは以下:
| 会社 | 主要論点 | 戦略オプション |
|---|---|---|
| PFN | MN-Core L1000の商用化(2026年提供予定)/IPO時期と方式:4層バリューチェーンを一括か分割か/NVIDIA・AMD・中国系AIチップとの競争/PLaMoのオープンソース戦略と特許の両立 | L1000の3次元積層DRAM特許の先行確保/スピンアウトIPO(Preferred Robotics、Computational Chemistry等)/標準化への関与(OpenCompute等)/ASEAN・インドでの特許出願強化 |
| アストロスケール | ADRAS-J2(JAXA CRD2フェーズII、120億円)の成否/ELSA-M(2026年打ち上げ)の商業実証/防衛関連需要への対応/PSR60倍超のバリュエーション維持/Northrop Grumman等との競合 | デブリ除去技術の用途拡張(点検・修理・軌道間輸送)/ISO/国連ルール形成への継続関与/防衛省・米国政府との連携強化/カナダ・豪州等の軌道上サービス新興市場への展開 |
| TBM | IPOタイミング/CR LIMEX®(CO2回収由来)の市場投入/横須賀工場のスケールアップ/SK提携の次フェーズ/欧州「プラスチック税」への対応 | CO2回収・固定化技術の特許強化(VAPCO、Viet Haiとのベトナム案件)/廃プラスチック・リサイクル市場への横展開/海外現地化とライセンスイン戦略/欧州EPR規制への対応商品開発 |
本3社比較から抽出される、Aegis Novaがディープテック・スタートアップ向けに提供可能なサービスの示唆:
ディープテック創業者は技術の専門家であっても、「ハードウェア・プロセスは秘匿、素材・創薬は特許」という判断軸を持たないケースが多い。弁理士×MBA×事業経験の三点を併せ持つAegis Novaが、創業直後〜シード期に判断をサポートするプロダクトは強い需要がある。Beyond Next VenturesのBRAVEプログラムなどに講師として関与するルートも考えられる。
PFN×神戸大学のようなモデルは例外であり、多くの大学発スタートアップは大学からの基本特許ライセンスの条件で躓く。新株予約権をライセンス対価として受け取る方式の設計、独占的実施権の範囲、サブライセンス権限の有無など、具体交渉で価値を生むコンサルティング余地がある。
VCは特許の中身を読み込む時間もスキルもない場合が多い。「なぜこの特許が事業参入障壁になるか」を、技術者でなくても理解できる1-2枚の経営図表に落とし込むサービスは、シリーズA〜Cラウンドで価値がある。アストロスケールの「技術・ビジネス・規制の三位一体」、PFNの「4層バリューチェーン」、TBMの「40カ国200件」のような、投資家に刺さる知財ナラティブの構築。
TBMが令和4年度知財功労賞を取得したことは、234億円資金調達の大きな裏付けとなった。アストロスケール、ユニ・チャーム、キッコーマン、味の素なども、特許庁の公的プログラム(表彰、広報誌掲載、IP BASEインタビュー等)を戦略的に活用している。この「公的認定取得コンサルティング」は、Aegis Novaが独自に設計できる新規サービス領域。
主幹事証券の法務DDと並行して必要になる知財DDは、弁理士の専門領域。特に共同出願・職務発明・FTO(Freedom to Operate)分析の3点は、弁理士×MBAホルダーの独壇場。アストロスケールのような上場時の知財論点整理(5カ国R&D拠点の発明者認定、JAXA知財との棲み分け等)は、高単価案件になりうる。
TBM×SKグループ135億円提携のような、日本スタートアップ×海外大手の大型提携では、「地域・商品・用途での棲み分け設計」が事業継続のカギ。中国・韓国・ASEAN系大手との提携案件が増える中、Aegis Novaが「日本発の技術を流出させない提携設計」をサービス化することは、国策との整合性も高い。
アストロスケールが実践する「規制と一体化する知財戦略」は、スタートアップの新しい競争優位源として重要。ISO規格、国際標準、業界ガイドライン、国策プログラムへの参画を、創業3年目〜シリーズBで戦略設計するコンサルティングは、他社が提供できない差別化領域。